コラム 政治・経済

全てが大きく変わった1985年のプラザ合意

私は大西つねきさんという

政治活動をされている政治家であり

思想家でもある方のお話に強く共感し、

以後、現在の経済金融システムの

矛盾等について学んでいます。

 

大西つねきさんについての詳しいことは、

大西つねき公式ウェブサイトをご覧ください。

 

前回は、日本は何を間違い続けて来たのか?

幸せの本質はGDPなどの指数や数値ではない

と言うことについて記事を書きました。

 

今回は、

全てが大きく変わった1985年のプラザ合意

ということについてお話していきます。

1985年のプラザ合意

日本は戦後の高度経済成長を経て、

見事に戦後復興を果たしていました。

 

そんな中1985年にユーヨークのプラザホテルで

当時の※G5による会合が開かれました。

それが「プラザ合意」と呼ばれる会合です。

※G5とは、
先進五カ国財務大臣・中央銀行総裁会議;
フランス、アメリカ、イギリス、
西ドイツ、日本の5つの先進国の略称

この会合では、アメリカの貿易赤字と

日本と西ドイツの貿易黒字を是正するために

各国の※協調介入で、ドル安誘導を行う

合意が行われました。

※協調介入とは、

為替相場の急激な乱高下で
世界経済が混乱することの阻止を目的として
為替レートを適正に安定させるために、
先進国を中心とした国々の通貨当局が協調して
誘導介入がスムーズに行えるように
連絡を取り合い為替市場に介入すること。

当時のアメリカ経済の背景

当時レーガン政権のアメリカ政府は、

高金利、高通貨政策を採用していました。

 

しかし、これにより貿易赤字と財政赤字の

両方が膨れ上がることになりました。

 

そこで、アメリカの財政問題を解決するために、

赤字の解消へと政策を転換するのです。

 

当時の日本は戦後復興の成功パターンを繰り返し

貿易黒字を稼ぎ続けていました。

 

そこで、アメリカが日本に明確なメッセージを

示してきました。

 

それは、日本からの輸出を減らして、

アメリカからの輸入を増やせという内容です。

 

要は、「アメリカの製品をもっと買え!」

というメッセージに付け加えて、

ペナルティーとして円高を突きつけたのです。

プラザ合意後の日本の状態

1985年のプラザ合意によって、

当時1ドル230円くらいであった

ドル/円の為替レートは一気に円高に進みます。

 

わずか2年の間に、1ドル120円台まで下落しました。

 

そして、結果的に日本の輸出業は

壊滅的な打撃を受けるのです。

 

たった2年で倍の円高になれば、

輸出価格も当然2倍になります。

 

230円で作っていたものが1ドルだったのが

1ドルが120円になれば、

売値は2ドルと倍近い価格になってしまうのです。

 

海外からの原材料費は、その分安く仕入れ出来ますが、

それだけでは輸出の価格差をカバーしきれないのです。

 

アメリカは1985年のプラザ合意によって

円高が進み日本からの輸出は減少すると見込んでいました。

 

また、輸入価格は下がることになりますが、

アメリカからの輸入は増えるだろうと目論んでいました。

 

ところが実際には

この思惑通りには行かなかったのです。

 

そして、ここから日本の悲劇が始まるのです。

 

今回のお話は以上です。

 

最後までお読みいただき、

感謝申し上げます。

 

参考書籍
「私が総理大臣ならこうする」
著者 大西つねき

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TSUTOMU,ISHIKAWA

TSUTOMU,ISHIKAWA

製紙会社で紙製品のデリバリー管理業務を8年間、福祉関係の専門職員を8年間勤めました。その後、地域貢献を志し政治の世界へ進みます。市会議員と国会議員公設秘書を通算5年間勤め、その後民間企業で5年間経営を学び独立起業しました。順調にステップアップしていたかに見えましたが、神様はここで私に精神の修業を命じます。50歳を目前に起業した事業が失敗し廃業・借金・うつ病・離婚等を経験します。 そして社会から完全に脱落。 病気から回復後に経済至上主義の競争社会に疑問を抱き、自身の失敗経験と反省から、この厳しい時代に凡人の中高年が、どのように生きるべきかを実践を通じて学んでいます。ビジネスマインドを始め、幸せな成功を目指すためのライフスタイルなど、将来に不安を抱える中高年の方々へ、新しい時代へ向けての生き方などをご提案しています。

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