コラム 自己啓発

「大道」の意味を知れば日常生活そのものが悟りへの道となる

禅の言葉に「大道、長安に透(とお)る」

という言葉があります。

 

この言葉は中国の僧侶、

趙州(じょうしゅう)の言葉です。

 

長安は中国、唐の首都で

透るとは通じるというような意味です。

 

つまり、

「すべての道は長安に通じている」ということで、

私たちの日常生活すべての行いが、

禅の悟りへの道だという意味の言葉です。

 

 

私たちが、朝起きて顔を洗い歯を磨き、

朝食をかきこんで満員電車に揺られて会社へ出かける。

 

会社で嫌な上司になじられ、営業先ではクレームを言われ

毎日サービス残業で、ヘトヘトになって家に帰る。

 

これも全て、禅の道なのです。

 

 

これらの日常生活すべてが、

禅の実践でなければいけないのに

日常生活の外に禅の道を求めている愚かさを

趙州は次のような言葉で叱っています。

 

「私は人生に回り道はないと思っている」

 

自分の歩いた道を回り道だと思う事は、

日常生活から離れたところにしか

禅の道がないと考えるからです。

 

例えば、

格式あるお寺で修行をする。

 

滝に打たれて精神統一する。

 

心静かに座禅をする。

 

といったような行為だけが、

禅の道だと考えてしまいがちです。

 

 

そんな考えでいると、私たちは趙州に叱られます。

 

今すでに歩いている日常こそが、

大道なのであり、すべてが長安に透っているのです。

 

若しくは、私たちは、

自分がいま歩んでいる道を

「大道」にしなければいけないのかもしれません。

 

これが、中国の禅僧の教えです。

 

 

この教えを現代社会に落とし込んでみます。

 

例えば、

大学受験に失敗して、浪人生活をしている人がいます。

 

この浪人生活を周り道と考えてはいけないのです。

 

大学にストレートで入学することだけが、

人生の学びではありません。

 

 

浪人中だからこそ学べるものあります。

 

これこそが、本物の学びかも知れません。

 

また、近年では、引きこもって会社や学校にいけない人、

うまく社会に馴染めない人もいます。

 

しかし、これもまた決して回り道ではありません。

 

その環境や状況でなければ

学べないことがあるはずです。

 

その環境にいない人には、

決して体験できない学びです。

 

こうした経験を積み重ねることが、

現代社会における禅の道だと思います。

 

 

本当に禅の道を突き詰めようと

その道を進み僧侶になるもの道でしょう。

 

しかし、私たちは何も頭を丸めて、

僧侶になって修行する必要もありません。

 

日々の生活の中で、

いつも学びを心がけていれば

私たちは、いつでも必要な方向へ

向かっていけるのです。

 

 

日常に起こりうるすべてのことに

何かの意味を見出し、

起こりうるすべての事から

学ぶ姿勢さえ持っていれば、

私たちは迷うことなく、

悟りの道を歩んでいけます。

 

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TSUTOMU,ISHIKAWA

TSUTOMU,ISHIKAWA

製紙会社で紙製品のデリバリー管理業務を8年間、福祉関係の専門職員を8年間勤めました。その後、地域貢献を志し政治の世界へ進みます。市会議員と国会議員公設秘書を通算5年間勤め、その後民間企業で5年間経営を学び独立起業しました。順調にステップアップしていたかに見えましたが、神様はここで私に精神の修業を命じます。50歳を目前に起業した事業が失敗し廃業・借金・うつ病・離婚等を経験します。 そして社会から完全に脱落。 病気から回復後に経済至上主義の競争社会に疑問を抱き、自身の失敗経験と反省から、この厳しい時代に凡人の中高年が、どのように生きるべきかを実践を通じて学んでいます。ビジネスマインドを始め、幸せな成功を目指すためのライフスタイルなど、将来に不安を抱える中高年の方々へ、新しい時代へ向けての生き方などをご提案しています。

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